気にしない練習②
おはようございます。るーさんです。
最近のハマりは、掃除することです。
#15年前の自分が聞いたらびっくりすると思う
さて、今日は昨日の続き🗒
#少し長め
【要約】
①人は、写真のように場面の一部分だけを切り取って記憶するクセがある。
誤ってネガティブな場面を心に焼きつけてしまったら、別の角度から撮った被写体と交換すればいいよ。
②自分のことをわかってもらうよりよい方法は、自分が相手のよき理解者になること。
③みんなに好かれたいと思っている人は、人をガッカリさせることを恐れるよりも、人の評価が気になって仕方がない自分にガッカリするべきだ。
◯気にしない人にならないためのヒント
「気にすること」と「気にしないこと」を分ける
何かを気にしている人に、気にするなと言うのは酷な話ですよね。
気にしてしまうのはどうしようもないことだし、「人の気も知らないで」と怒り出す人もいるかもしれない。
人は多くの場面で、写真を撮るように、一部分だけを切り取って記憶するクセがあります。
被写体に何を選ぶかは、その人次第。
運動会のかけっこであれば、スタート前の緊張している子を被写体に選ぶ人もいるし、一等でゴールする子を切り取る人もいる。写すべきではない被写体にシャッターを切り、心に焼きつけてしまう人もいる。
みじめな自分や怒っている自分、屈辱を受けた瞬間にシャッターを切って、人を恨み続ける人もいるでしょう。
人生には、記憶に留めるべきカットもあれば、そうでない情景もある。
自分を高め、他人を安心させることは気にしたほうがいい。
けど、気にしても自分が向上しないこと、自分をみじめにすること、自分の力ではどうしようもないことはさっさと忘れてしまったほうがいい。
◯もっと「鈍感力」を磨く
心おだやかな生き方を目指す
仏教は「心おだやかな境地を目指すこと」を説いています。
少し仏教のお話をすると。
心おだやかな境地を目指したい心を、菩提心(ぼだいしん)といいます。
#きっと明日には忘れている言葉ですね
菩提心を土台として具体的な生活方法を説く「戒」は、自主的に守ろうとする項目です。
戒を破ったところで罰せられることは、ありません。
「十善戒」は、些細なことが気になり、心おだやかでいられない人のための「遠ざかったほうがいい悪いことの十カ条」です。
むやみな殺生、時間を含めた盗み、男女のよこしまな関係、嘘、きれいごと、乱暴な言葉づかい、人の悪口、物惜しみ、怒り、誤った見方。
この10個です。
つまり、心おだやかになるために必要なのは、できるだけ悪いことから遠ざかることであって、積極的に何かをすることではないんですね。
誰かからの評価ばかり気にすると、心おだやかではいられない。
いい人、悪い人という価値観から離れ、心おだやかな生き方を目指したいものですよね。
いい子になろうとしない
人づき合いをすれば、相手の気持ちが気になりますよね。
けど、相手にどう思われているかを極端に気にする人は、よく思われたい以上に、悪く思われたくないという想いが強い。
もちろん、人に嫌われたいと思う人はいないですよね。
しかし、自分をどう思うかは、相手の心の問題であり、コントロールすることはできません。
それをコントロールしようとすると、媚びへつらい、ユーモアのある自分をアピールするなどして、「いい子」になろうとする。その結果、疲れてしまうんですね。
少年だったころの、この本の著者も、いい子になろうとしていた。
しかし、僧侶というやりがいを見つけてからは、人から嫌われないようにしたり、無理に好かれる努力をしたりすることもなくなった。人からの評価よりも、自分がやっていることに夢中だから。
人からどう思われているかが気になる人は、自分のやりたいことを見つけて、その道で努力するといい。
「一歩引くこと」を覚える
人は、それぞれ違った価値観を持っていますよね。
家族でさえそうなのだから、それ以外の人とは違って「当たり前」なんです。
自分と似た価値観もあれば、相反(あいはん)して共存できない価値観やまったく知らなかった価値観もあるでしょう。
中でも、自分の価値観と相反するものはやっかいです。
価値観とは、自分が信じているという点で、信仰といっても過言ではない。
相反する価値観に、心おだやかでいられなくなることもありますよね。
たとえば、僧侶である著者は「いつでも心おだやかでいるのがいい」と信じている。
一方で、「そんな生き方は人間らしくない」と考える人も、刺激を追求する人もいます。
この3人で自分の価値観を押し付けあうと、どこまで行っても平行線。
だから著者は、異なる価値観を持つ相手には「ま、そういう考え方もあるよね」と伝え、理解を示すようにしている。
そのほうが、自分の価値観を押し通すよりも、心がおだやかでいられるから。
ただし、理解と同意を混同してはいけない。
「理解したはずなのに言う通りにしてくれない」と怒る人がいるが、理解をすることと同意をすることは別の話ですから。
同意するかは別として、「ま、そういう考え方もあるよね」と理解する。
日常の些細な価値観の違いには、この方法でほとんど対処できますよ。
◯それは、あなたの考えすぎ
「褒められたい」という欲は、厄介
人間には、「愛されたい、認められたい、役に立ちたい、褒められたい」という4つの願いがある。
いずれも他人からの評価に左右されるものです。
社会的に孤立して生きることができない、人間ならではの願いでしょう。
「愛されたい」とは、自分に注意を向けてほしいと願うこと。
たとえば挨拶は、自分に注意が向いていることを感じられる、「愛されたい」欲を満たしてくれるものですよね。
「認められたい」は、文字通り認めてもらうこと。悲しんでいる人に共感することも、これに当たる。
「役に立ちたい」は、誰かの役に立つことで、自分の価値を大きくしてくれる力になる。
そしてもっともやっかいなのが、「褒められたい」である。ほかの3つ以上に、他人からの好評価を期待している欲です。
褒められようとすると、自分にも相手にも無理をさせてしまう。
心おだやかに生きるためには、「褒められたい」という欲はほどほどにしたほうがいい。
相手の理解者になる
自分の内面を意識し、分析する習慣がない人には、他人の思いを理解し、共感するのは難しい。
思春期の子どもは、「親は私のことをわかってくれない」とイライラする。
その親は、思春期の子どもへの接し方がわからずに右往左往する。
そんな親の気持ちを察する子どもは、少ない。
そして、そのまま相手の気持ちを察する訓練をしないまま成長すると、自分の思いだけを相手に押しつける大人になってしまう。
「『私は意外と神経質なんです』と言う人に限って無神経な人が多いのはなぜだろう」という言葉がある。
病的な神経症なら、周囲の人に理解してもらうことも必要です。
しかし、自分が神経質であることを他人に理解してもらい、気をつかってほしいと相手に押しつけるのは、無神経な行為ではないでしょうか。
自分のことを理解してほしいと思うのは、自然な流れです。
四面楚歌でも理解者が一人いるだけで、心強いものですよね。
しかし、自分の援軍を得ようと躍起になるほど、心は小さくなっていく。
むしろ、他の人の応援団になったほうが、心が大きくなり、おだやかでいられるだろう。
人に好かれるためには、まず自分がみんなを好きになることである。
自分が相手のよき理解者になれば、自分のこともわかってもらえるものですよ。
◯鬱々したら、こう考える
マイナス感情をカテゴリー分けする
一緒にいて楽しい人でも、それが長い時間になると、疲れてくるものです。
人といることが嫌いではない著者でさえ、他の人に関心を持ち続けるのは、6時間が限度。
後は一人でいるか、家族と一緒にいたい。
もし、マイナス感情が起きやすい環境にいなければならないとしたら、心の負担をもっと感じることになるでしょう。
相手の失礼な言動に憤ることもあれば、理解してもらえずに悔しい思いをすることもある。
困っている人に何もしてあげられない自分を、情けなく思うこともあるだろう。
しかし著者は、マイナス感情を持ったとしても、その多くは翌日には忘れてしまう。
思い出したとしても、「嫌な思いをしたっけ」と笑うことができる。
なぜなら、自分に起こるマイナス感情をカテゴリー分けしているから。
どのレベルまでなら、消えるに任せておけばいいかがわかっているんですね。
著者の場合は、親しくない人に愚痴を言えるならマイナス感情は低レベル、親しい人になら言えるのであれば中レベル。
誰にも相談できない高レベルのマイナス感情が3日続くようなら、対処が必要になる。
まずは、自分のマイナス感情を分析してみよう。
自分は何が嫌なのか、自分の望みは何か、なぜ相手はそうしたのか、仏さまや神様ならどう反応するかを考える。
相手の境遇や思考を考えれば、相手を理解できるようになるでしょう。
「あの人の立場なら、ああするのは当たり前だ」と納得できると、気にならなくなる。
まずは自分のマイナス感情をカテゴリー分けすると、いいですよ。
がっかりされても、気にしない
みんなに好かれたい人は、毎日つらいですよね。
好かれたいと考えることは、嫌われたくないという恐怖を抱き続けることだから。
嫌われる恐怖は、チヤホヤされることの気持ちよさよりもはるかに大きい。
人の期待に応えることばかりに必死になって思春期を迎えると、相手の動きに合わせたあやつり人形のようになってしまう。自分が嫌われたくないという紐にあやつられていることに気づく時期が、必要です。
人をガッカリさせることは、悪いことではない。
Aさんの期待に応えることが、Bさんをガッカリさせることだってありますから。
人に嫌われることを気にするよりも、人の評価が気になって仕方がない自分にガッカリして、考えをあらためたほうがいい。誰かに嫌われても、自分なりに正しい道を歩もうとしている、もしくは、実際に歩んでいる自信があればいい。
沿道から声援を送ってくれる人の中に立ち去る人がいたとしても、あなたはその人の後を追いかけないでしょう。
ただ、自分が信じる道を突き進めばいいんです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます😊
おしまい。
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