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人は、なぜ他人を許せないのか~前編~

おはようございます!るーさんです。

昨日の夜、久しぶりに任天堂スイッチを使ってゲームをしたら、左親指に水ぶくれができました。
え・・ゲームすると、水ぶくれできるっけ・・
#どんだけ力強くコントローラーを握ってたんだ

さて、今日は
「人は、なぜ他人を許せないのか」というお話。
#前編、後編でお届けします

〇誰もが陥りかねない「他人を許せない」状態

「正義中毒」とは?

「清純派キャラの女性タレントが不倫をしていた」。「大企業がCMで差別的な表現をした」。
こうした状況は、自分や身近な人が直接不利益を受けたわけではありません。
ですが、面識もない相手に攻撃的な言葉をあびせ、叩きのめさずにはいられない。
そんな状態に陥っているとしたら、それは、正義におぼれています。
これは、「許せない」が暴走してしまっている状態。
脳科学を研究している中野 信子さんは、これを「正義中毒」と呼んでいます。

正義中毒は、誰しもが簡単に陥る可能性がある。
とりわけ、ネットやSNSの世界では顕著にでます。
SNSの広がりが正義中毒を顕在化させ、より強めていることになりますからね~。

また、自らの正義をふりかざす快感を味わいつつも、同時にそんな自分を許せないと感じている人も多い。
このような相反する感情に苦しめられていては、とても幸せな状態とはいえないでしょう。

多様性を狭めた集団は滅亡に向かう

正義中毒の人たちは、一見独自の理論、独自の正義をもっているように見える。
ですが実際は、自分がターゲットにされることを恐れて、多数派に流れているケースも多い。
例えば、Aを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になると、異なる意見をいいにくくなってしまう。

しかし、社会全体でこうした流れに乗り、多様性を狭めてしまうことは、非常に危険。
多様性を狭めることで、短期的には生産性や出生率が上がる。
しかし、進化の歴史で見ると滅亡に向かってしまうんです。

たとえば、ある企業では、強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績をあげているため、そうした人材ばかりを集めているとする。だが、ある日規制が強化され、そのような営業ができなくなったとしよう。
その企業に、一人でも温厚でロジカルな営業担当者がいれば、営業活動を続けられる。だけど、そうした人材の多様性がない場合、その企業は厳しい局面を迎えることになりますよね。

〇日本社会の特殊性と「正義」の関係

愚かさの基準は国によって異なる

正義中毒は、どこの国のどんな人でもなり得るもの
しかし、どんな人を逸脱者(愚か)とするか、という基準は、国や地域によって大きく異なります。

たとえば日本では、「みんなに合わせられないこと」「みんなと違う行動をすること」が愚かだと考えられる傾向にある。これに対して、中野さんが滞在していたフランスでは、「みんなと同じこと」や「自分の意見をいわないこと」が愚かだと捉えられがちであったといいます。

自然災害と閉鎖的環境による影響

じゃあ、なぜ日本人は、自分の意見を飲み込むことが好ましいと考えるようになったのか。

それは、日本が島国であることや、日本の独特な環境が関係しています
まず、降雨量が多く、台風などの風水害のリスクが高いという気候面の特徴があげられます。
そしてもう1つの特徴は、日本がプレートの境界にあるため、火山が多く、地震が多発する地域であるということ。同じ島国としてイギリスがありますが、イギリスでは自分の意見を飲み込む傾向がない理由は、ここにあるようです

日本は、長い間自然災害に悩んできました。
そのため、そうした環境に適応できるよう、長期的な予測をして準備を怠らない人たちが生き残ったと考えるのが自然ですよね。

また災害時には、みんなで助け合って復興をめざす以外の方法はない。
#近年も災害が多く発生していましたよね
#今はコロナで満ち溢れていますが
#復興するために今も頑張っている人たちだっています

集団への協力を拒んだり了解事項を裏切ったりすれば、その人物は非難と攻撃の対象となってしまう。
このような背景から、日本では、個人の意思よりも集団の目的を最優先するようになっていったんですね
#日本の教育の在り方と紐づいてきたな
集団の考え方に背くことは社会全体に危機をもたらす恐れがあるとして、無意識に集団主義的思考を採用していたのでしょう。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
「正義中毒」って、確かに誰にでもありますよね~

「正義」が、ときに「正義」にならない時だってある。
「悪」が、ときに「正義」をしているときだってある。


というように、価値観によって何が「正義」かを定義するのは難しいなぁと思います。

これは仕事でもいえますよね?
自分がやってきた経験が全部正しいと思っていても、時代が変わればその「正しさ」だって変わります。
まさに、Adoの「うっせえわ」の冒頭歌詞と同じ。
だから、この「うっせえわ」という曲が社会現象になったのも理にかなっていますよね。

正しさとは?愚かさとは?

そんなことを、引き続き明日もお話します。
おしまい。

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