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全ては「自分」で選んだこと

こんばんは。広報担当の諸江です。
最近、自分が今余裕ないなーと客観的に判断できるようになって最高だよ私、って感じるこの頃。
#主観的じゃなくて客観的なところが大切

さて、今日は「今現在の状態は、全て自分が選んだ結果」だというお話。
#少しばかり人によっては残酷かもしれませんね

病名「自分なんて・・・病」

日本は遠くに自己肯定感低い人が多いから、高くするためには?と言うノウハウ本や動画がたくさんこの世の中には出ていますよね。
皆さんは、自分自身の自己肯定感が高いと思っていますか?
それとも、低いと思っていますか?

私は自己肯定感が現在高いですが、初めから高いわけではありませんでした。
「まだまだ自分なんて・・」「どうせ自分なんて・・」「何やっても自分なんて・・」
そんな病気が、私自身もあったから。

卑下している最中の自分にたいして、さらに周りは誰も自分の悩みを理解していくれないと「悲劇のヒロイン」化します。振り返ると、本当に本当に恥ずかしいからこのブログでも言いたくないなぁと思うほど。
割と自分がドMなのか、競争社会が激化しているところばかりを選んできた人生です。
常に「1番になるために」「結果を残す人になるために」を目指す世界。
時に、なんのために頑張っているのか、誰のために頑張っているのかわからなくなるほど。
私自身の性格としては、誰かを蹴落としてまで1番になりたいって思ったことがマジでありません。
なりたい人がいるのなら、ついつい譲ってしまいます。
#こればっかりは性格です
つまるところ、私のために1番になりたいなんて私自身には何の魅力もなかったから。

しかし、当時はそんな生ぬるいメンタルでいたら本気でやっていられません。
周りは割と「上昇志向」のマインドしかいない。
すると、終わりのない沼に飛び込んだ気しかしないんです。
どこまで頑張ればいいんだろう。いつまで努力し続ければいいんだろう。
終わりはいつ来るんだろう。どこまでやれば「やめていいよ」って言ってもらえるんだろう。

その時は、とてもキツイ世界でした。
ですが、その世界を選んでいたのも自分でした。
#当時はそれさえ受け入れられなかったかも

この病の恐ろしいところは、自分から病気の種を蒔いているということに自分自身で気がついていないことです。自分は全然ダメなやつ、自分が努力したって結果につながらない、人に迷惑ばかりかけているだけ。
そんなことを「呪い」のように、自分自身に唱え続けるのですね〜。

さて、この呪文を唱え続けたらどうなるでしょう。

メンタルが弱い人は、自殺を選びかねません。
けど、残酷な言い方をすると、これも全て「自分で選んでいること」なのです。

人の悩みは、9割ゴミ

多くの人は、いろんなことに悩んでいるでしょう。
家族や恋人、友人や人付き合い、仕事など、さまざまなことで多くの人は悩んでいます。
あなたは、いったい何に悩んでいるでしょう。

秒速ですぐに答えられる人は、最高に「何か」に悩んでいる。
常に思考ばかりを使っている状態。
秒速で答えられない人は、悩むことをしない人、悩みがない人です。
#経験で言い切れる

悩んでいる人に言えるのは、多くの悩みは案外自分自身が生み出しているもの。
例えば、人間関係でいうならば
友達や家族、ママ友など「誰か」から言われた一言が引っかかって、悩んでいる人がいますよね。
これってどうして悩むか、わかりますか?
それは、面と向かって言われた本人に自分の本心を言えないから。
日本人の多くは、この傾向が非常に強いですし文化としても、人が気分を害することは言わないようにした方がいいという文化なのであまり言えない人の方が多いです。
さて、ここで面と向かって言えない理由はなんでしょう。
理由はたくさんありますが、シンプルに「嫌われたくないから」です。

本でも、「嫌われる勇気」なんて出ていたくらい、嫌われたくない願望が非常に強いのです。
そう、これを読んでいるあなたも、誰かからは嫌われたくないと思っているかもしれません。

さらに本質を突き詰めると、「嫌われて自分にたいして悪く言われたくないから」なんですね〜。
けど、これって自分を守っているように見えて、自分を傷つけている自傷行為でしかない。 
本音を言って離れていく人は、自分と合わない人。ただ、それだけです。
悩む理由がないんですよね、実は。
つまり、大抵は至って物事は「シンプル」な世界。
複雑な世界を創り出しているのは、あなたなのです。

だから、悩みって9割はゴミ。
どんな人にも「本音で話していれば」、まず対人関係で悩むことはありません。
#嫌いだと思う人とは関わらなければいいから

もちろん仕事も同じです。

例えば
・社長と価値観や考え方が違いすぎてやってられない!
→やめたらいい。それでも会社に残ることを決めているのは、あなたです。辞める権利は、あなたにあるのだから。
・先輩社員とコミュニケーションが全然うまくいかない。ストレス。
→それを本人にそのまま伝えればいいのです。コミュニケーションがうまくいっていない時ほど、相手に「今のじゃわかりません」と、たった一言言うだけです。相手も同じことを思っているかもしれません。互いにわかりあうまで話すのが、コミュニケーションですから。それでも分かり合えない場合は、互いに関わりを断つ選択を選ぶほかありません。だって、本音で話しても分かり合えなかったから。互いの価値観に歩み寄れなかったと言う結果なので。
・今の仕事が全然面白くない!やめたいのに・・・
→やめればいいんです。面白くないんでしょう?面白いと思う仕事を探して実行すればいい。
・起業したけど、全然うまくいかない。やめたい。
→やめればいい。ただし、社会は起業したあなたに「責任」を求めてくるので受け止めること。受け止められないのであれば、うまくいけるように色んな人の知恵をかりて行動あるのみ。

まぁ、ざっとこんな感じです。
ね?悩みって、9割はバッサリと答えが出るものばかり。
それを「悩んでいる状態」でいるのは、もはや悩んでいることが好きなだけです。
ここで反論する人は、プライドが邪魔している人。
だって、自分が悩んでいることを否定されたと思うから。
そのプライドは、果たして必要なプライドなのでしょうか。
プロフェッショナルなプライドは必要ですが、自分を凝り固めてしまうプライドは必要じゃありません。

今ある世界は、自分が創造している

つまるところ、目の前に広がっている世界は、あなた自身が生み出したもの。
全て、「あなたに決定権」があるから。
どんなに幼少期で親の言いなりだった、親の意見に逆らえなかったと言う人も、「逆らわない選択を選んでいた」のです。アメリカのスラム街の子どもたちは、親のヒステリックや暴力が激しい、ドラッグをやっている親で自分が死にそうになると言う状況で命の危機を感じたならば、家を飛び出して路頭に迷う選択肢を自ら選んでいる。つまり、日本にいるあなたは幼少期も「自分で選んできた」ことなのです。
結構、残酷なことですよね。
けど、それが現実です。
私は時にもう何もかも嫌になって、死んでしまった方が楽なんじゃないかとさえ思ったことがありますが、その時に思ったのですよね。それって逃げることを選んだことになるなーって。あと怖いなって。
そこで初めて、やはり自分で選ぶことに責任ってあるんだなと感じた。
自分はそれでいいかもしれないけど、自分を応援してくれている人に不誠実すぎて嫌だと思って、やめたのを思い出します。
どうしてそう言うことができたのかって、私が自分の両親に感謝していることの1つとして、「すべて自己責任であること」と幼少期から学んでいました。勉強をしないことも、何かを諦めてやめることも、友達と遊ぶことも、全て自己責任。
その代わり、自分で選んだことに言い訳を言うな、とも説かれました。
当時は全然気付けませんでしたが、今ではそのような教育をしてもらってよかったなって心から感謝しています。それだけ、今何かしら自分の身に何か起こっている、自分の心に何か起こっている人は、自分自身と向き合っていない人です。体調不良も、心の不健全も、全て。
せっかくの機会ですから、自分自身と向き合ってみてください。

向き合うことって、つい数日前にもブログで書きましたが、簡単そうに見えて簡単じゃないです。
現実を見るのは、辛いかもしれませんから。
そして、他人は100パーセントあなたが思っていること、考えていることには共感できません。
なぜなら2500以上もの感情の種類があるから。血のつながった親でさえ、個性が違うから100パーセントは無理です。
それでも、「確かに」「わかる」と言う共感は少なからずあなた自身が体験した事実をもとに相手に寄り添うことができるから、ほんのちょっぴりでも心のレーダーが反応すれば共感しようとする。それが人間っていう生き物なのです。
ここを乗り越えれば本当に生きたい自分の人生を歩めますし、あなたらしさで素直に人と関わることもできる。アニメや漫画キャラクターもそうですが、いつも戦っているのは自分自身ですから。

もちろん、「そんなことはわかっていても、こういう世界を選ばない」ということを選んでいるならば、それもあなたの選択です。

今日は、そんなお話でした。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

おしまい。


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