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叱ることの必要性

おはようございます。広報担当の諸江です。
本日は日曜日なので、雑談。
#雑談と思えないタイトル名

怒ること

たくさんの人に「自律できるような教え」をすることが私の日常なのですが、
中でも今週は特にそればかりだった気がします。振り返ると。

私も人間なので喜怒哀楽で言うと「怒」を感じる時だってある。
けども、人を導くことをしている時は「自分の怒り」を封印しています。
なぜかというと、個人的な怒りの感情を他人にぶつけても何の生産性も生まれないから。

長年の経験を振り返ると、個人的な怒りをぶつけてスッキリするのは、ぶつけた本人が一番スッキリします。しかしぶつけられた他人は正論であればまだ100歩譲っていいかもしれませんけど、それも結果としては相手にぶつけた自分が一番スッキリしているんですね。つまり、ただの八つ当たりです。
ここで大事なのが、「じゃあ、正論であればいいじゃない」と思う人が多いのですが、正論を相手にずっと言い続ける人というのはマウントをとって相手よりも優位に立ちたいという強い意志の現れなのです。

本当に相手の成長を思うのであれば、自分の怒りではなく「叱る」ことが大切。
怒ることは、自分の感情を相手にぶつけているだけ。
叱ることは、相手に気づきを与えるために言葉と表情で伝えること。

軸がどちらにあるのかが、かなり大切なのですよね〜。
#もちろん私も現在進行形で勉強中

自分の心をコントロールする

私は割と子どもたちとその保護者を導くことが主に多いのですが、
子どもって本当に面白いくらい大人をよく見ています。
つまり、「あ、こいつチョロい」と思えばナメた態度や言葉で大人にぶつかってくる。
そこで大人は腹を立てて、自分の個人的怒りを子どもにぶつけて、またナメられる。
それの繰り返しをしているのが、割と日本の教育です。
#大人も一緒だよね

これは大人も一緒だと思うんだけど、
大人も「肩書き」や「人によって態度が変わる人」っていますよね。
その人たちも、幼少期から上記のように過ごしてきたんだと思います。
#予測だけど間違いなく当たっている自信がある

けど、「この人は見ていたことに対して自分の行動について叱る人」と思った人には、ナメた態度をとりません。むしろ尊敬してくれたり、結果として好いてくれたり、本当に困った時や相談したいことがあれば1番に話してくれる場合もあります。それだけ「信用」される人なのですよね。

これは誰しもができるはずなのに、誰しもは難しいと思っている人がほとんど。
人材育成をしている社会人も、子育てしている親も、みなさんできる素質を持っている。
けど、うまくいかない理由は、そもそも「自分自身の感情コントロール」ができていないから難しい。
まずは、自分の感情に向き合う必要があるのですね。
コントロールする方法は、自分自身の感情と向き合うことが最短距離でコントロールできるようになります。

因果応報

どんな人も、「生まれた時から幸せだった」と言える人は少ないんじゃないでしょうか。
というのも日本人の幸福度は先進国の中でも下位。
みんながみんな、「こうだったらよかったのに」って1度は思ったことがある人ばかり。
もちろん、こんなことを書いている私だってそうだった。
自分の環境にも、周りにいる人も全てに対して嫌に思ったことだってあるし、そのせいで自分自身も怒りと悲しみでいっぱいになったことがある。けれども、最終的には全て自分で決めて今があるんです。
誰かを責めても、誰かに自分の怒りをぶつけても、ただ最後に残るのは虚無感だけ。
相手に対して怒ったり、悲しんでも、因果応報という言葉がある通り、原因はいつも自分自身にあるのです。
人は誰だって、「起こった出来事、全部あなた自身のせいなのよ」と言われて「はい!そうですね」と、受けいられるくらいの寛容な心を初めから持っていません。誰かのせいにしたくなるだろうし、環境のせいにしたくもなる。けど、一度歯を食いしばりながら自分の心に向き合ってみる。
ムカついた理由は、なんだ?悲しかった理由は、なんだ?と。
バグっている人は、悲しい、怒っているということさえ自覚していません。
それは、昔から自分の感情を抑える必要があって自分自身も長年偽り続けてきたから。
そんな人は、自分をよく知る身近な人から指摘されたことに対して「ムカついた」「悲しかった」ことを思い出しましょう。それだけでも、自分のネガティブな感情を知るきっかけになります。きっかけを掴んだら、手放すのではなく一度知ろうとしてみる。
大抵は、自分のプライドを傷つけられた、自分を否定された、自分が大切にしている人たちを傷つけられた、の3つのパターンが理由です。この3つに当てはまる場合は、自分が相手に対してとる行動は叱るのではなく「怒る」ことに該当しやすい。
#認めましょうね

大人もこどもも関係ない

自分に向き合い続けている人ほど、人の上に立つことができるし人を導いたり引っ張ることができる、いわゆる「リーダー向き」になります。理由は、叱ることができるから。
相手の行動と言葉に対して、叱ることができるから人を導くことができますよね。
そこに、自分の個人的な感情はいりませんから。
ここに「年齢」は、関係ありません。
時に、親より子供の方が親なんじゃないかと思うくらい感情的ではなく「相手の行動についてのみ」指摘できる子だっています。それは上司部下の関係でもそう。
だから「叱れる人がいる」って、人の情緒を育むためには必要なことなのですよね。
あなたは、怒っていますか?それとも、叱っている?

そんな私の雑談でした。
#全然雑談に感じないかもしれないけど
#自分の雑談ってこんな感じ

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
おしまい。


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